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宇宙人的な感覚で世の中を見渡す


by kklig
 新年早々の1月19日から21日まで、胡錦濤国家主席が訪米し、オバマ大統領との首脳会談が行われ「米中共同声明」も発表された。日本のマスコミ報道では米中関係の問題点ばかりに焦点が当てられ、如何にも偏っており、苦笑いしか出てこなかった。米中は見事な実利外交を行っているのに、日本は第三者のように評論ばかりしていていいのか、筆者は憂慮せざるをえない。
 「日本の国益」を口癖のように唱えている日本の一部の政治家やマスコミ、「有識者」などは冷静に、かつ真剣に「本当の日本の国益は何か」を考えるべきであり、米中の「実利外交」から学ぶことを勧めたい。中国に対する「一党独裁」、「覇権」、「人権」、「価値観外交」という脅威論的な思考経路から脱却できない日本の対中関係は「失われた10年」と呼ぶのが適切なように思う。

 今回の米中首脳会談は、中国にとって画期的な外交成果と言えるだろう。数年前から米国で言い出した「G2」(中国は「受け入れない」と言っている)が、中国のGDPが昨年末に日本を超え世界第二位(購買力平価では日本を二倍以上超え米国に匹敵するとの試算もある)となったことを踏まえ、実質的には世界の二つの超大国が手を結ぶ第一歩を踏み出した。
 米国は一方では「価値観外交」で中国に文句を言いながらも、他方では「国益優先」の実利外交を巧みに、そして戦略的に進めている。それはブッシュ前政権でもオバマ現政権でも変わらない。今度の胡氏の訪米で、450億ドルのボーイングも含めた大型買付、対米投資32.4億ドルも合意された。これは米国で20~30万人の雇用創出に繋がるという。対中投資でも2010年末までの累積で5.9万件(投資金額652億ドル)に達し、米国は中国経済成長の果実を着実に享受している。今後もしばらくは米中の実利外交は両国に大きな利益を生み続けるに違いない。

 これとは対照的に、日本は79年から08年まで対中ODA最大の供与国(2008年までの累計約3兆6千億円)で中国経済発展を支えたという有利な立場にありながら、それに見合う果実を十分に享受できただろうか。答えはNOである。この10年間は対中実利を応分に獲得できなかった「失われた10年」と言っても過言ではないだろう。日中関係は「政冷経熱」という言葉がよく使われているが、筆者はかつて「政冷経涼」という用語で日中関係の現実を分析したことがある。つまり、政治関係も冷たければ、経済関係も涼しくなりつつあるということ。反日デモやマスコミの過剰な嫌中報道で日本企業の対中国戦略は大きな圧力を受けていることも見逃せない。

 例えば、日中両国の貿易や投資の数字だけみれば確かに「経熱」といえるだろう。1999-2009年までの10年間、日本の対中国貿易は輸出が234億米ドルから1,096億米ドル、4.7倍増加、輸入が323億米ドルから1,045億米ドル、3.2倍増加した。この倍率をみると日本の対中国貿易は日本と他の国との貿易に比べると急成長したのは間違いない。しかし、同時期に米国の対中国貿易は輸出が129億米ドルから695億米ドル、5.4倍増加、輸入が420億米ドルから2,517億米ドル、6.0倍に増加した。また、同時期にEUの対中国貿易は輸出が209億米ドルから1,143億米ドル、5.5倍増加、輸入が320億ドルから2,518億ドル7.8倍増加した。また隣の韓国は対中国経済関係が最も緊密になった。対中国貿易では輸出が172億米ドルから1,003億ドル、5.8倍増加、輸入では78億米ドルから537億米ドル、6.8倍増加した。対中国投資でも、米国、EU、韓国などは中国市場に官民共同で乗り込み、巨大な「実利」を得ている。

 中国という畑を耕すのに最も貢献した日本は、収穫時期に来ているはずなのに他国がもっと収穫しているのではないか。小泉政権の「靖国外交」から安部政権の「価値観外交」、そして現在の菅政権の「対米基軸外交」などが、日中間の距離を大きく引き離したことと無関係ではない。
 もちろん中国の対日外交も成功したとは言えない。しかし、中国からみると、日本との経済関係で得る利益は欧米やその他の地域と比べると著しく低下している。現状の日中関係のままだと、今後の10年も「経涼」がさらに進むかも知れない。なぜかというと2008年以降、日本の対中国ODAの9割を占める円借款が終了したからである。それでも中国にとって日本が重要な経済的なパートナーであることは間違いないが、欧米やアジアの他の地域に比べて、その存在感が引き続き低下するかも知れない。
# by kklig | 2011-02-01 12:35 | コラム
 日本人の中国に関する論評を読むたびに、心痛く感ずるところが一つ、いやそれ以上ある。つまりほとんどは中国現実の表面(外から)しか論究できていない傍論である。もちろん、傍論も必要であることは言うまでもない。しかし、本質を掴めない傍論だけでは研究対象に対する判断を誤りかねない。したがってそれに基づいた政策判断は国家の戦略や政策を誤りかねない。この投稿欄で読んだ岡崎研究所や山下英次氏の論評を読むと、「対岸の火事を観る」ような論評にしか思われない。
 『孫子兵法』には「己を知って彼を知れば百回戦っても敗けない」(知自知彼,百战不殆)という諺があることは日本人はみんな知っているはず。日清戦争で小さな日本が大清帝国に勝ったのは、明治維新以来(もしかすると遣隋使、遣唐使以来と言えるかも)の日本は中国をよく研究し知り尽くしていたかもしれない。逆にかつての中国は帝国の尊大さのゆえに日本のことに対してほとんど無知であったから、相手の戦法を知るすべもなく、散々負けたのである。
 今の日中両国の相手に関する認知度はどちらかといえば、日清戦争の時代と逆転しているような気がする。改革開放以来、中国の若手知識人は日本に大量に留学してきて、現在は日本の教育や研究分野の隅々までに中国の研究者がいる。筆者もかつて日本の国策研究機関で政策研究に携わったことがある。また、多くの研究者が日本を「知り尽くして」中国に帰り、中国の頭脳集団になっている。彼らはいつも冷静に、的確に日本の一挙手一投足を分析し政府の政策指針に影響を与えている。虎の穴に入った、または入ったことのある中国の頭脳集団は相当数いる。
 これに比べて、日本はどうなのか?日中交流が自由になってからの30年あまりに、日本の中国研究者はどれくらいに相手の「虎の穴」に入って、相手の人々と皮膚を摺合せながら(裸の仲間になって)中国の研究をしたのだろうか。中国人の気持ちをどれくらい理解しているのか。甚だ疑問である。(つづく)
本年2月18日に本欄にて、小職は「『戦略なき国家』『頭脳なき国家』の悲劇」という論評を書いたことがある。戦略がないのは戦略を研究する能力のある頭脳集団が欠如しているからである。中国には日本研究をする一流の頭脳が数百名、数千名いる。日本では中国研究をする専門家は数えるほど少ない。それもほとんどは本とかテレビとか、欧米の論評を読んで自分は中国研究者だと錯覚している人が少なくない。韓国に度々行くと「中国研究」するという人々と国際会議やプライベットで遭遇するが、多くの人は米国留学帰りで、中国に対してほとんど無知であることをずくずくと感じてしまう。日本は韓国よりはましであるが、それでも素人の論評が多すぎる。
 中国に関して「共産党独裁」や「民主化」に対する見解、「民族問題」や「ネット世論」に対する見解などを見ると、どれ一つとっても本質からほど遠い傍論にすぎない。「中国共産党」やその統治能力に関してどれくらい知っているのか。見てみると無知に等しい。「旧ソ連やリビアなど独裁国家が崩壊したから中国の独裁もいずれ崩壊するかもしれない」という論理は全く実態を知らない議論である。
 筆者も「共産党独裁」はいずれか崩壊するか変わるだろうと推測している。しかし、中国の頭脳陣はソ連崩壊の歴史や原因を分析しつくしている。「天安門事件」以来、または旧ソ連崩壊以来の中国の対外・対内政策は旧ソ連の教訓を深く認識してのものであることを日本の「中国研究者」はどれくらい知っているだろうか。中国のトップ・リーダーたちは、もしかしたら世界で最も「民主化」していると言えるかもしれない。9人の政治局常務委員は序列はあっても絶対的なトップはいないのである。重大な国策は9人が認識を揃えた時に生まれるのである。
 9人常務委員を含めた数十名の政治局委員は毎月に国内外の有数な各分野の専門家を招いて国外内情勢に関する勉強会をしていることは、どれくらい日本で知らされているのか。私の同窓生も中国人民大学の著名な憲法学者であるが、1990年代に李鵬首相に招かれて講師を務めたことがあると聞いている。日本の有数の企業家は中国政府のいろんな分野の顧問役として活躍しているが、日本の中国研究者は中国でほとんど影響力がない、と筆者は観ている。中国研究者に「虎の子を捕るために虎の穴に入る」ことをお勧めしたい。
# by kklig | 2010-11-19 12:39 | コラム

尖閣諸島の領有をめぐって、日本に対して中国と台湾が対立姿勢をとっている。お互いに自分の領土だと幾ら主張しても問題が解決される道筋が見えなければ、建設的な対応であると見ることはできない。主張しても問題解決の見込みがないのが領土問題である。お互いに主張を繰り返す、そして一部の行動を伴うことは、トラブルを起こすことにしかならず、お互いの緊張関係を深め、結果的には「両敗具傷」(どちらも損する)ことにしかならない。せっかく、東アジア地域協力や共同体構築へベクトルが向かっているのに、領土問題で国家間の関係に亀裂と不信感を高めることは賢明な行為とは言えない。
 東アジアには、尖閣諸島以外にも竹島(独島)問題、北方領土問題、南沙諸島問題などたくさんの領土、領海問題があり、これは東アジアの近代の混乱な国際情勢の中で残された問題である。現在の国際法や二国間関係ではいずれも解決し難い問題であることは周知のことである。ならば、関係諸国はこのような問題はなるべく冷静に処理し、仮に問題が起こっても沈静化する方向で努力するのが本来の道筋である。
 この10年間、日中韓3国は首脳会談も実現しており、来年はソウルに3カ国の国際機構(事務局)を設立することでも合意し、また日中両国間では「戦略的な互恵関係」を構築することも宣言されている。
 かつて、「日中平和友好条約」を締結するために1979年に訪日した中国の鄧小平氏は、「釣魚島(尖閣諸島)問題はわれわれの知恵では解決する見込みがない。棚上げしといて次の世代に委ねれば解決する方法が見つかるだろう」と問題解決方法を提案し、それが日中両国の暗黙の合意になっていた。それ以来、日本も中国も尖閣諸島で問題が起こったときになるべく沈静化する方向で対応してきた。
 しかし、今度は日本側が中国側の漁船の船長や船員を逮捕し、長い間拘留してしまった。なぜなのか?ちょうどこの時期に筆者は中国でニュースを聞き、不吉な予感を感じた。その後、北京大学であるシンポジウムがあり中韓両国の識者が大勢参加した。日本からの参加者は筆者だけであり、会場では問題提起はなかったのだが、懇親会の場で中国や韓国の参加者たちから、「日本はなぜ中国の人を逮捕したのか?理解できない」と質問されたのだがその場で筆者も答えに詰まってしまった。一つは、衝突事件だと言うが、真実はどうなのか分からない(今でも筆者は分からない。いち民間漁船が海上保安庁の監視船にぶつかってくるとは、頭が狂ったものでなければ、論理的にあり得ない話だと思う)。もうひとつは、日本が何か意図的にやったのではないかと思ったが、それらしき根拠が思いつかなかった。
 その後、事件は周知の通り推移してきた。いろんな意見が飛び交っている。
私の見解では、まず日本の海上保安庁の監視船が衝突を理由に逮捕したのは、それほど問題の種にはならなかったはず。領土・領海紛争問題で他の国の間でもよくある行動である。問題はその後の処理方法であった。日本は処理方法を誤ったと私は考えている。「法律に乗っ取って逮捕拘留した」と言っても、国際関係は国内法律で解決できる問題ではない。これは国際関係の常識である。かつて北朝鮮の金正日氏の長男が偽造旅券で日本に来たときも、いくらでも逮捕できたはずだが、日本政府は政治的な判断で迅速に送り返したので問題にならなかったのである。
 日本は逮捕したまま時間を長くしたのは、中国にとっては挑発行為に見えただろうし、意図的に見えたかもしらないし、何かを企んでいると見えたかも知れない。「だったら徹底的に対抗してみせる」、というのが中国側の対応ではなかっただろうか。中国の諺に「以其人之道、還治其人之身」というのがあり、相手のやり方で相手をやっつけるという意味で使う。まさに、中国はその手法を実行して、日本人会社員4人を逮捕し、対抗方法で一応問題が解決に向かったのは言うまでもない。
 この問題の裏にはなにがあるのか。それは近年時とともに現れてくるナショナリズムの台頭である。数年前に私は日本のある華人系新聞のインタビューを受けたときに「愛国主義(ナショナリズム)の幽霊が東北アジアを徘徊する」と日中韓での対立構造を分析したことがある。先進国と言われる日本、先進国の仲間入りをやっと実現した韓国、急速に躍進する中国。経済的には東アジア時代を謳歌しながらも、それぞれの国のナショナリズムは根強く存在している。領土問題に歴史問題も絡んで、なかなか信頼関係の構築ができない東アジアの諸国。その根底にはこの地域はいまだにナショナリズムの幽霊が徘徊しているとしか言えない。
 春先に起こった南北朝鮮間での天安艦事件をめぐる対立構図を見ると分かるように、冷戦時代の「二つの鉄の三角」がそこに再現されたかのような国際関係にある。残念ながら東北アジア地域では冷戦が終わっていないのである。日本20年間暮らした筆者が、日本で見ても、韓国や中国で見てもそれを強く感じざるを得ない。中国に行くと、ホテルのテレビで毎日必ず抗日戦争の映画を見ることができ、いやな気持ちになる。韓国に行くと必ず竹島(独島)問題を取り上げる人がいて、日本は歴史を反省していないと言う人がいる。殖民地をされた経験がある韓国人のその気持ちは理解できなくもないが、どこか今の時代にそぐわない気がする。
 日本はどうなのか。昨年に発足した鳩山政権は自民党路線から一歩踏み出し、「東アジア共同体」構築を目指すとして、「日米関係の見直し」を主張し、普天間基地の海外や県外の移設を唱えて、実現するはずもなく政権の座から下ろされた。それにはアメリカの影が見え隠れている。日本がアメリカとの距離を置いて東アジア諸国が固まることはアメリカの国益に反すると見ているから、妨害するに決まっている。
 その後任の同じ民主党の菅直人政権の外交を見ると、非常に曖昧で、実際やっていることを見ると、自民党時代に戻ってしまったと思わざるを得ない。自民党の強硬派と同じ考え方を持っている人を外務大臣に任命したからなおさらだ。戦後60年の自民党路線をくつ返すために政権をとったはずの民主党だが、結局対外路線では自民党となんらも変わらないのではないか。経済的に中国に追い抜かれることになると、恐れを感じて自信喪失になった勢力は、さらにアメリカへの追従を選択せざるを得なくなったのだと見受けられる。
 結論を述べると、領土問題や領海問題は、現時点では解決方法がないのである。関係各国の為政者の賢明な選択は現状維持またはトラブル防止の装置を相互に講ずることである。政治家たちが領土主張を繰り返しても本当の国益にはならない。隣国間の関係を緊張化させることは国民にとっては迷惑ではないか。
 将来的な唯一の解決方法としては、前途多難かも知れないが、EUのような共同体を目指すことである。「共同体」や「連合」になったら国家主権が限りなく弱まるので、領土問題も主権問題としての意味が次第に薄れるか、なくなってしまうだろう。 (以上)
# by kklig | 2010-11-19 12:28 | コラム
貨幣デノミ措置は「資本主義のしっぽ切り」か

権力継承問題が表面化しつつある北朝鮮では、昨年11月30日に突然の貨幣デノミ措置が発表され、世間の注目を浴びている。核開発問題や権力継承問題など国際社会に大きな影響を与え得る問題に比べると、今度の措置は基本的に国内経済問題または政治問題に過ぎないが、政権の安定と経済の安定は近隣国としては見過ごせない問題。その意図は何なのか、その影響で経済実態および住民の生活状況はどうなっているのか、など諸問題が浮かび上がる。
『朝鮮新報』(在日朝鮮総連機関誌)の報道によると、今度の新貨幣発行は1992年以来の17年ぶり。5,000ウォンから1銭まで14種類の新貨幣を発行し、住民は100対1の比率で短期間に手持ちのお金を新貨幣と交換しなければならない。当局の説明によれば、その目的は「貨幣の流通を円滑に行い、誠実に働く勤労者を優遇すること」だという。
政府当局は2002年に「7・1経済管理改善措置」を発表し、物価・賃金の改革を行い、勤労者の給料を30~50倍引き上げた。ところが、食糧や生活必需品の国による配給がかなり減少し、住民は自由市場(いちば)にてそれを購入せざるを得なくなった。供給不足の経済のなかで、「計画経済」でも「市場経済」でもない「無秩序」な「市場(いちば)経済」により(筆者の定義)、物価は国定価格の50倍から100倍以上に上昇し、深刻なインフレが住民生活に打撃を与えた。
一方、市場(いちば)での自由な取引が認められるなかで、貧富格差が急速に拡大し、商売人達が困窮した国民経済のなかで富を集めたが、今度の措置では貨幣交換の上限金額を設け、成金になった人々は手元の貨幣が紙屑になってしまう。「貨幣の流通を円滑にする」措置とは言うものの、経済と住民生活の混乱を招くことは想像に難しくない。
前世紀90年代初頭には「羅津・先鋒自由経済貿易地帯」を創設し、経済関連の諸法規を改正し、その後は物価・賃金改革を行い、一見市場経済を導入する方向で動くように見えた政策方向は、ここに来て金持ちと市場に対する取締りを強化し、逆方向に向かうように見られる。
北陸中日新聞2010年4月12日に掲載
# by kklig | 2010-04-12 13:44 | コラム
オバマ大統領の核廃絶宣言と東北アジア平和

 毎年8月になると、広島・長崎の原爆被爆に関連する報道で日本のマスコミは余念がない。平和を祈願する日本国民の声には傾聴すべきものが大いにある。ところが、日本は唯一被爆国である歴史を記憶するとともに、加害者であった歴史も合わせて記憶すべきであり、そして近隣の諸国とともに戦争被害者の気持ちを分かち合う努力をしてこそ、平和の祈願が近隣諸国と世界に伝わるだろう。
「核兵器のない世界を!」、「戦争のない世界を!」。日本人のみならず世界の多数の人は同じ心情を持っているはず。
今年の4月5日、アメリカ大統領オバマ氏が、核廃絶に向けて、チェコのプラハで大勢の市民に向けて演説を行った。「今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します」と。
世界をリード(または制覇)する米国の大統領の演説であるだけに、人類に希望を持たせる面も確かにあるだろう。
しかし、核兵器をなくす理念を主張するときに、「では、なぜ核兵器は開発・拡散したのか?」を冷静に考えなければならない。核兵器は戦争と冷戦の産物にほかならない。
今日、私たちが暮らす東北アジア地域では、まだ戦争も冷戦も終わっていない。朝鮮半島はまだ分断と「停戦協定」の状態にあり、中国と台湾は分裂状態にある。そして、イデオロギー対立は今なお少なからずの人々の意識を支配している。
核実験を行った朝鮮は当たり前に非難を受けるべきかも知れないが、核兵器を大量に保有し、または「核の傘」に守られる周辺の国が、他人に「武器を捨てろ」と言っても、それは説得力に欠ける話であり、実現不可能に近い。核兵器をなくすためには、まず「停戦協定」を「平和協定」を変えることが先決であろう。南北統一をしたくてもできない朝鮮半島、両岸統一をしたくてもできない中国。その鍵を握っているのは、核廃絶の鍵と同じく、アメリカが持っているのではないか。
 北陸中日新聞2009年9月9日掲載
# by kklig | 2009-09-28 13:47 | コラム