宇宙人的な感覚で世の中を見渡す


by kklig
■李 鋼哲「日中関係は本当に最悪なのか?」

金沢市内のホテルで、去る12月7日(日)に標記のテーマでシンポジウムが開かれた。24年前に設立された環日本海国際学術交流協会が主催したものである。2年以上途絶えた日中首脳会談で日中関係が「最悪」という世論に日本国民が当惑するなか、実態の日中関係はそこまで悪くないというメッセージを市民に発信する試みであった。10月に私がこの協会の理事として提案し開催にこぎ着けた。経済貿易、環境協力、人的交流の3つの分野から日中両国間の実情について報告し、活発な議論が交わされた。

幸い、11月10日に安倍晋三首相が北京で開催されたAPEC首脳会議へ参加したことをきっかけに、中国の習近平主席との2年半ぶりの首脳会談が実現し、凍り付いた首脳外交が再開された。そのお陰でこのシンポジウムが意図した趣旨と内容が市民に受け入れやすい雰囲気になったように見受けられた。

それに先立ち、11月7日に筆者はNHK国際放送局の電話インタビューを受けた。今度北京でのAPEC首脳会議の際に日中首脳会談が実現するか、そして首脳会談ではどのような事が議論されるか、という問題に3分間中国語で答えた。実は数日前からNHKの要望で発言を準備していたのだが、日中首脳会談が実現されるかどうかは予測できない状況であった。それでも日中両国がおかれている現状や国際情勢を分析し、大胆に発言することを決めた。インタビュー収録が放送される予定は午後6:00~6:15時だったが、幸いなことに、その数分前に日中首脳会談が決まったというニュースがラジオで流れた。ある意味ではラッキーだった。

その発言要旨を簡略に紹介する。

回答:今度、日中首脳会談が実現される可能性は大きいと思います。最近の動静を見ると、APEC首脳会合を成功裏に開催することにより、中国の存在感を世界にアピールすることを目標に、中国政府は積極的な準備を進めているように見受けられます。

中国にとっては、環太平洋連携協定(TPP)に参加できない現状を考えると、APEC機能強化やアジア太平洋自由貿易構想(FTAAP)を強く訴えることが、この地域における米国との駆け引きの重要なポイントだと、私は考えております。しかし、米国と競争するためにも日中関係が硬直したままでは、中国にとって不利になることは明らかです。福田元首相が最近訪中した際にも習近平国家主席と会談しましたが、そのときに習氏の発言では、アジア地域協力が重要であることを強調しているのです。アジア地域協力において、中国側にとって最も役立つ国は日本にほかなりません。

一方、日中間では歴史認識問題や領土問題がネックであり、打開される見込みは立っていませんが、両国の領土問題の議論も山場を超えて、冷静に議論する段階に入りつつあり、歴史認識問題でも安倍首相が今年8月15日に靖国神社参拝を見送ったことで、中国などに一歩譲歩したと中国政府は判断しているでしょう。

以上の状況から見ると、中国首脳が日本首脳と会談することで中国国内世論に強く反対される可能性は低くなりました。最近、中国国務院政策研究室の局長などが20日間ほど日本全国を視察し、帰国後の報告書「日中両国の発展格差を深刻に認識すべき」という長編論文を「人民論壇」で発表し、日本は先進的な文明国であり、中国はまだまだ日本に勉強することがたくさんあると強く訴えました。これも日中政治対話のための世論形成の一つだと見受けられます。

以上は、インタビューの概要だが、本題に戻って「日中関係は本当に最悪なのか?」について、シンポジウムでの報告内容を簡略に取り上げる。

その前に、日本国民は日中関係についてどのように感じているのかについて紹介しよう。内閣府が11月23日に発表した「外交に関する世論調査」で、中国に「親しみを感じない」と回答した人が80.7%(前年比0.1ポイント増)となり、昭和53(1978)年の調査開始以来、過去最高となったことが分かった。韓国への親近感も低く、日本と両国との最近の関係冷え込みを反映した結果となった。日中関係について「良好だと思わない」は91.0%だった。中国で反日デモが相次いだ昨年の調査(92.8%)に次ぐ過去2番目の高さだった。

このようなデーターが発表されると、その影響で日本国民の対中国感情はさらに悪化するのではないかと危惧する。世論が世論を呼び、実態とはかけ離れた対中国観が日本で蔓延しているのである。また、中国での世論調査結果を見ると日本と似たような情況にある。

一方で、今年の中国人の日本観光客は過去最高(1-10月で200万人を突破)を記録していると報道されている。日本にとって最大の貿易依存度の国は紛れもなく中国である。日本企業の対中国投資が今年減少したと言っても、2万3千社の日系企業は中国市場で儲けているし、撤退する企業はわずかである。また、日系企業で働く中国人従業員は1千万人を超えている。日中関係が「最悪」という情況と、実際の関係がここまで相互浸透している実態をどのように見るべきか。

私のシンポジウムでの発言趣旨を紹介する。

21世紀に入ったここ十数年間、日中韓関係は摩擦が漸増してきた。これは、戦後の枠組みを変える大きな転換期に入っていることを示す。戦後長く維持されてきた「特殊関係」としての日中関係、日韓関係は、21世紀における脱戦後的な「普通の関係」に転換しつつある。

日中関係の構造転換の全体的な原因は、小泉政権時の東アジア外交に示されている日本の政治システムの転換、中国の経済力や軍事力の急成長、日米同盟の強化、日中摩擦の激化、などである。日中関係をめぐる国際環境が変わり、また日本と中国の位置づけと立場が変わり(GDPで見た国力の逆転)、両国の摩擦度が「友好協力」の要素を超えたからである。かつての「友好協力」の背景には、世界第2の先進国になって心に余裕がある「強い日本」と、改革・開放政策で経済発展が至上命題で、そしてそのために謙虚に日本の先進的な技術と経験に学びたい「弱い中国」であった。

しかし、そのような立場が逆転したのである。「失われた20年」で「自信喪失の日本」、急速な高度成長で着実に大国に浮上した「驕る中国」という構図になった。一方では、このような立場の逆転に心の準備ができずに「アジアの盟主」という意識が抜けない日本、他方では、大国の地位は回復したものの、まだ発展途上国の地位から脱却できていない「驕り」と「弱者意識」または「被害者意識」が交錯する中国がある。これが日中両国の葛藤が生じやすい「不可避な歴史的な過渡期」としての現実だと筆者は考えている。

しかしながら、現代の国家間関係を判断する上で、古典的な外交関係の思考から「新思考」に頭を切り換えないと我々は思考停止に陥ってしまう。21世紀における経済グローバル化の深化に伴い、国境の壁が低くなり、国家間の関係および外交は、古典的な政府中心の「一元的外交」から、現代的な政府、財界、地方自治体、NGO(NPO)など民間も含めた「多元的外交」時代に転換しつつある現実をしっかり把握しなければならない。

従って、国家間の関係を判断する上で、視点またはパラダイムを転換しなくてはならない。つまり、政府間関係、あるいは首脳間関係だけに着目して国家間関係の全体を判断するのは、すでに時代錯誤にほかならない。

日中関係を見る上でも同様であり、首脳間関係、政府間関係、そして経済・文化・人的な交流関係(企業、自治体、NGO)など総合的な視点が不可欠である。そのような視点で見た日中交流関係の実体については次の機会に報告する。

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<李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu>
1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて――新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。
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# by kklig | 2014-12-07 14:19 | コラム
オルタ原稿   
李 鋼哲(北陸大学) 2014.11.15

   吠える犬、「三国人」を越え、多文化共生社会へ-ヘイトスピーチ断想

 その一:「弱い犬は吠える」
 「吠える犬は怖くない」、私が小さいときお父さんから聞いたことを思い出す。「なぜですか」、と聞くと、「犬は人などを見て怖いから吠えるのだよ」、と教えてくれた。確かに、田舎での体験から見ると、人をかむ犬は吠えない場合が多かった。
 人を犬にたとえることは若干失礼なことかも知れないが、他人を罵ったりする人は実は怖くない人かも知れない。なぜかというと弱い人間は他人を罵ることをする場合が多い。強い人、賢い人、成熟した人は他人を罵らない、または簡単に他人を口で攻撃しない。このことは私の人生を振り返るとまさにその通りだと思う。私は生まれてから身体が弱い子で身体障害も持っていたので、人に虐められることも多かったのだが、虐められなくても人に見下ろされるのではないかといつも思い、人に対して強気で出るような習性があった。それが今は全くなくなった。心強い自信たっぷりの人間になってからだ。
 有名なあの元東京都知事であった石原慎太郎氏が10年くらい前に「三国人」発言をして大きな波紋を呼んだことがある。そのとき、「三国人」発言に対して私はエッセイを書いたことがある。「一匹の蛙が井戸水を汚す」という朝鮮古代の諺を引用し、アジアに対する差別意識を持っているのは極一部の人々に過ぎないと思っていたが、その当時インターネットであるアンケート調査結果を見ると、なんと石原氏の発言を支持する人が反対する人の数を上回っていたのではないか。アジアに対して差別意識を持っているのは石原一人だけではないことに驚きを隠せなかったのである。
 その石原が2008年北京オリンピック開会式に招待されたが、怖くていけないとコメントした。中国の巧妙な毒薬を飲ませて、日本に帰ってからゆっくり死んでいくかも知れないと、言っていたのだ。やはり吠える犬は相手を怖がっていることが、この話からもよくわかる。東京と北京は友好都市であり、その意味で北京市長が招待したのに。他人や他国の悪口ばっかり言っている人は、いくら偉そうに振る舞う政治家であっても作家であっても心は細いのだと私は思った。しかし、日本人の多くは彼を英雄だと思っているようである。なぜかというと「ノーと言える日本人」を謳っているから。
 夫婦関係や男女関係でも似たような構図が見える。長い歴史の中で、女和弱い、男は強いという観念が人間社会で支配的であった。それで生まれた男尊女卑社会または男中心の社会。今も女性の社会的な地位を世界で比べると日本は105位くらい、韓国は106位くらいという統計が出ている。「先進国」と言われながらもこの面では「後進国」。しかし、中国は10位台で「先進国」に並ぶ。約100年前までは、儒教社会の影響で東アジア三国はそんなに変わっていなかったのに。しかし、なぜ現代社会になっても男が強がる社会風土が変わらないのか。これは良く研究する必要がある課題である。ここでは、その課題を解くものではなく、なぜ男は強がりなのか、を考えるきっかけを提供したい。
 先般、「憲法デモクラシーの会」が都内で開催された(『朝日新聞』「天声人語」)。そこで「戦争と女性」をテーマに女性だけのパネルディスカッションがあったが、経済学者の浜矩子氏は「女性は戦争に対する最大の防波堤になりうる。なぜか。女性は強い。どこにでも移動し、環境に適応し、耐久力もある。強くゆとりがある者は他者に対し攻撃的になる必要がない。戦争とは[弱虫の凶暴性]が引き起こすものだ」と指摘したことにすごく感銘を受けた。浜さんは、人が人を差別するのはその対象を恐れるからであるとさらに指摘したが、どうも私と同じような考えをしている。
 どの国でも右翼的な人、またはナショナリスト達は、差別的な言論が多いし、相手国の悪口をよく言う。それは結局相手国に恐怖心を持っているからではないか、と私は思っている。心に余裕を持たず、自分たちが犯した悪事や罪悪を反省したがらず、そして相手が強くなったら報復されるとの恐怖心をもっているように見受けられる。実は戦々恐々の弱虫達にすぎない。
 
その二:「三国人」新釈
 

 ところが、私がここで言う「三国人」というのは、そうした差別用語とは全く違う、日本・中国・韓国(朝鮮)3カ国の共通点を持つ人のことを指すのである。我々が暮らしているこの東アジア地域で、この3カ国を中核とする「東アジア共同体」という未来の夢を見る場合、共同体の人々の共通アイデンティティとして、「アジア人」という意識を育てることが大事であり、その意味で「三国人」=「アジア人」なのである。我々東アジア地域に、このような「三国人」はそんなに多くはいない。私自身の受けた朝鮮、中国、日本の文化というマルチカルチャーの視点から、日本人、韓国人(朝鮮人)、中国人の共通点やそれぞれの違いが何であるかについて考えることが楽しみなのである。私は敢えて自分は「三国人」または「アジア人」であると自負をもって自慢したい。
 この「三国人」は、地理的に隣接し、歴史的に・文化的に数千年にわたる交流をしながら文化・思想などを共有しながら暮らしてきた。それが体制やイデオロギーということでお互いに遠くなったのは20世紀の僅かな一時期である。日本はかつて単一民族の国ではなかったし、朝鮮半島もそうであった。中国は昔から多民族国家であり、今もそうである。日本や朝鮮半島が単一民族国家という虚像を作り上げたのは、近代の専制主義によるものであると私は考えている。
実際は、日本にはアイヌ民族や琉球民族が存在しているが、国はそれを認めようとしない。日本にはもと外国人だった人が日本国籍を取得するのを「帰化」というが、中国ではそのような言葉がない、ただし中国国籍を取得したという。「帰化」というのは完全に日本の魂を入れるという意味を含んでいるのではないか。
 韓国にも、華僑に対する警戒やいじめがあるという。だから韓国での華僑の数は戦後段々減っていくのである。近年は、同じ同胞である中国から出稼ぎに来ている「朝鮮族」同胞に対しても蔑視する事件が大勢発生し、一時社会問題になっていたという。
 冷戦が終わって、国境の壁が低くなりつつある現在において、お互いに多様性を認め、共存・共栄するという価値観が求められているのではないか。ある学者は、東アジアの文化の中に共通しているのは「中華思想」を共有していることと指摘した。ここで言う「中華思想」というのは、中国の文明という意味とは違う。周辺の他の国や民族に対して、自己優越感や自己中心の考え方を「中華思想」と表現したのだ。中国の歴史に「中華思想」があったのは当然のことであるが、韓国にも「小中華思想」というのがある。とりわけ、中国で明朝が滅びて清朝に変わると、満州族は野蛮民族であり、中国の儒教思想を受け継いだのは朝鮮(当時)であるといい、朝鮮こそ中華思想の正統性をもつという考え方だった。また、日本の文化は朝鮮が教えたものだという。それで、朝鮮人は東アジアでもっとも優れた民族だとの自覚を持っているようである。
 近代に入ってからの日本も同様の「中華思想」の持ち主になってしまった。そして近代化に成功した日本人は自分こそ「アジアの盟主」になると考え、「大東亜共栄圏」を作ろうとしたのだ。
このような「中華思想」は、東アジアでいつまでも存続する基盤が現在ではなくなりつつあるのではないか。「三国人」を中心に多様性を尊重するという意識が次第に高まりつつあると思う。多様性というのは、思想・文化・宗教など多岐にわたるものである。
 ここでは、犬と人間の関係という側面から、「三国人」が見た3国の多様性、それぞれの違いについて語ってみたい。


多文化・多民族共生の社会を目指せ!
http://kk-lichard.blogspot.jp/2009/06/blog-post.html

2009年6月18日木曜日


「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議、国会両院で採択」をきっかけに、日本における多文化社会、多民族社会を一歩進めることを提案する。

 国会の衆参両議院は2008年6月6日、それぞれ「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全員一致で採択しました(衆議院・参議院)。

 「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」によってまとめられた決議案は、アイヌの人びとが、「法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」とし、政府に、「先住民族の権利に関する国連宣言」を踏まえてアイヌの人びとを独自の言語、宗教、文化をもつ先住民族として認めること、「国連宣言」を参照しながら、有識者の意見を取り入れ、総合的な施策の確立に取組むことを求めています。

 1996年、内閣官房長官の私的懇談会である「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」が作成した報告は、アイヌの人びとの先住性を認めていましたが、格差や差別是正、権利回復に向けた措置はとられず、文化の振興を趣旨とする、アイヌ文化振興法が制定されるにとどまっています。また札幌地裁は1997年に、二風谷ダム事件において、アイヌの人びとを先住民族にあたると判断しています。

 国連の自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会など人権条約機関の報告審議においても、政府はアイヌの人びとを先住民族とは認めていません。01年の人種差別撤廃委員会における日本の報告審議においても、「先住民族」に関する具体的な国際的な定義がないため、判断することができないと述べています。一方、人種差別撤廃委員会が、「先住民としてのアイヌの権利を更に促進するための措置を講ずることを勧告する」など、条約機関から、アイヌの人びとに対する差別の懸念や権利確保のための措置の勧告などが出されています。5月に行われた、人権理事会の定期的普遍的審査においても、複数の国から「国連宣言」実施に向けて政策をとるなどの勧告があげられています。

 国会両院の決議も、前文で「国連宣言」の採択に言及し、その趣旨に沿って具体的な行動をとることが「国連人権条約監視機関から我が国に求められている」と述べています。

 「先住民族の権利に関する国連宣言」は、20年以上の起草作業を経て06年6月、第1回人権理事会において採択され、07年9月の国連総会で決議されました。46条から構成され、先住民族の自決権と、それに伴う政治的地位を決定し、自由に経済的、社会的、文化的発展を追求する権利、強制的な同化や文化の破壊にさらされない権利、自分たちの土地から立ち退きを強いられない権利などを含みます。ほかにも、伝統的に所有、占有などをしていた土地や資源に対する権利を認め、自由でかつ情報に基づく事前の同意なしに収用、占有などされた場合には、原状回復や公正な補償を得る権利をも規定しています。人権理事会での採択の際、日本は、集団の権利や財産権に関する規定について解釈を付しながらも賛成しています。

 政府は、国会においても、アイヌの人びとが北海道などに先住していたことを歴史的事実と認めていますが、先住民族かどうかは「答えることができない」と答弁していました。決議を受け、官房長官は6日、「政府としても、アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識の下に、『先住民族の権利に関する国際連合宣言』における関連条項を参照しつつ、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む所存」と、アイヌの人びとが先住民族であることを認め、施策確立のための有識者懇談会の設置を検討する談話を発表しました。

 しかしながら、日本では未だに民族差別が深刻であると、国連人権委は指摘し、新しい法律を成立し、改善するよう求めている。
 以下は、国連人権委員会特別報告について紹介する。

 2005年7月国連人権委員会特別報告者(人種差別・外国人恐怖症担当)のドゥドゥ・ディエン(セネガル)及び国連人権高等弁務官事務所人権担当官が訪日し、宇治市の在日朝鮮人集落であるウトロ地区を始め、被差別部落、各行政当局を訪問した。

 9日間の滞在で、「日本では被差別部落や在日韓国・朝鮮人などに対し深刻な差別があり、政府は(包括的な反差別法などの)対応措置を講じる必要がある」との報告書をまとめ、またその報告書の中で、法務省入国管理局の実施している不法滞在の電子メール通報制度を「外国人排斥の風土を助長」しているから撤廃するよう勧告した。

 さらに、アイヌ民族や朝鮮半島出身者への差別解消策として、歴史教科書を改善するよう提案、国連総会に提示する考えを示した。また、取材に対し「日本政府は今回の訪問に協力的だったが、当局者の多くは民族主義と人種差別の深刻さを理解していない。政治家が民族主義的な態度で民衆の感情を煽っていることを憂慮する」と述べ、石原慎太郎都知事の所謂「三国人発言」に対して政府が何らの態度表明もしない事に懸念を示した。

 2005年11月には、同・ドゥドゥ・ディエン特別報告者が国連総会第3委員会(人権)で日本における人種差別を問題にし、包括的な人種差別禁止法の制定を訴えた。

 グローバル化の時代は、日本人や日本国民だけで生きる時代ではないことを自覚すべき。大勢の日本人は海外に移住・永住などをしているのと同じように、大勢の外国人も日本に移住・永住している。それらの人々に差別的な待遇や目線で対応するような社会に、日本はなってはならない。そのためには、日本にいる元外国人(日本国籍帰化者)にも、自分の民族の言語や文化を利用できるような、いわゆる多文化共生の社会環境を整備しなければならない。と同時に、日本に現実的にいるいろんな少数民族を法律的に認めるような法整備も必要である。
 
 実際に、日本にはアイヌ民族(北海道・千島の先住民)以外にも、ウィルタ民族(樺太先住民)、ニブフ民族(樺太先住民)、琉球民族(沖縄先住民)、在日華人、在日朝鮮・韓国人(帰化者)、日系ブラジル人、など、民族集団として存在している。それらの人々は、日本国籍を取っている以上、日本国民であり、それぞれの文化を持つ民族であることを日本の政府や日本国民は認めるべきである。
# by kklig | 2014-12-01 14:17 | オピニオン
NHK国際放送局ラジオ番組
【前説】
ANN:今月(11月)10日から2日間、北京でAPEC首脳会議が開かれます。期間中に、安倍総理大臣と習近平国家主席の会談が行われるのかが、注目されます。
日中首脳会談実現の見通しと、その議題について、北陸大学未来創造学部 教授で国際経済学が専門の、李 鋼哲(Li gang-zhe/男性)さんに伺います。
■【国内のラジオ第2でお聴きいただく場合】番組名:中国語ニュース ※中国語放送。
放送日時:11月7日金曜日、 午後18:01~午後18:15 メディア:NHKラジオ第2 
周波数:東京693KHz
上記番組は、放送日当日、同時刻に、インターネット上でも放送。
http://www.nhk.or.jp/netradio/ (らじるらじるHP)中国語以外の言語は、ページの右上の「Select language」の項目から選んでいただくことができます。全部で17言語あります。

SE1 (李 鋼哲 男、中国語、3分間)
ご質問1)今回のAPECでは、安倍首相と、中国首脳の首脳会談が行われるかが注目されますが、実現すると思いますか。また、実現した場合、どのような課題が話し合われる可能性があるでしょうか。
 回答:今度、日中首脳会談が実現される可能性は大きいと思います。APEC首脳会合を成功裏に開催することにより、中国の存在感を世界にアピールすることを目標に、中国政府は積極的な準備を進めているように最近の動静から見受けられます。中国にとってはPPT協定に参加できない現状を考えると、APECの機能強化やアジア太平洋自由貿易構想を強く訴えることが、この地域における米国との駆け引きの重要なポイントだと、私は考えております。PPTがいき詰まっている現状を考えると、APECを重視する立場を強めることは、中国にとって重要な戦略的なチャンスでもあります。
 中国はその世界戦略の中で、もっとも重視している戦略的競争相手はあくまでも米国であり、日本ではありません。しかし、米国と競争するためにも日中関係が硬直したままでは、中国にとって不利になることは明らかです。最近の福田元首相が訪中した際にも習近平国家主席と会談しましたが、そのときに習氏の発言では、アジア地域協力が重要できることを強調しているのです。アジア地域協力において中国にとってもっとも役立つ国は日本にほかなりません。
 一方、日中間では歴史認識問題や領土問題がネックとして打開される見込みは立っていませんが、両国の領土問題の議論も山場を超えて、冷静に議論する段階に入りつつあり、歴史認識問題でも安倍首相が今年8月15日に靖国神社参拝を見送ったことで、中国などに一歩譲歩したと中国政府は判断しているでしょう。
 以上の状況から見ると、中国首脳が日本首脳と会談することで中国国内世論に強く反対される可能性は低くなりました。最近、中国国務院政策研究室の局長などが20日ほど日本全国を考察訪問し、帰国後の報告書{日中両国の発展格差を深刻に認識すべき}という長編論文を「人民論壇」で発表し、日本は先進的な文明国であり、中国はまだまだ日本に勉強することがたくさんあると強く訴えました。これも日中政治対話のための世論形成の一つだと見受けられます。
 もし、首脳会談が実現される場合、どんな課題を話し合うのかについては、推測しがたい問題ですが、あえて推測するとすれば、一つは、中国側は日本側に歴史認識問題で慎重に行動するように求めることになるでしょう。たとえば従軍慰安婦問題でも明確な態度表明を求めるでしょう。二つは、領土問題の話し合うメカニズムを構築するよう、中国側は提案するでしょう。なぜかというと、中国にとっては尖閣諸島問題を話し合うことを一貫して主張してきましたから。この二つの問題は日中間の懸案ですので必ず触れると思われますが、中心の議題にはならないかもしれません。中心の議題は日中間の経済協力とアジアにおける地域協力になるのではないでしょうか。日中韓三カ国の政府間対話や協力枠組みの復活と3カ国自由貿易協定の推進などが議題になると思います。あまり急速な接近は期待できませんが、硬直した関係の改善に向けて一歩踏み出すことは予測されます。もし、日本の安倍首相がもっと誠意のある対応(中国側からみれば歴史認識の問題と領土問題で誠意ある態度)をするのであれば、会談の雰囲気は一気に改善する可能性もあると思います(でも安倍首相はそこまで譲歩するとは思えませんが)。

ご質問2)中国経済は、現在景気の低迷など様々な課題を抱えていますが、このタイミングで日本との関係改善を図ろうとする背景には、どのような狙いがあるとお考えですか。また、中国が日本経済に期待するものがあるとすれば、それは何だとお考えですか。
 回答:中国経済に対する日本の認識と中国の認識には大きなずれがあります。日本からみれば中国経済は「景気低迷」に映るのですが、中国の指導部や専門家は、成長率の低下は予想範囲以内として考えており、構造調整や不動産バブルをコントロールする上で必要なことだと考えていると思います。「量より質」を重視する経済構造にすることを李首相も国内外で強調しております。従って、中国政府は経済成長を7.5%前後でコントロールできると思っているようで、量的緩和や財政出動を控えているのが現状です。
 このような認識のずれが、それぞれの国の政策に反映されるかも知れません。日本側は、中国経済が低迷していると認識し、中国が日本の協力を必要だから首脳会談に応じるのだと認識したら、それは誤った認識になるかも知れません。だとすると中国に政治的に譲歩する必要がないと考えたら、関係改善は難しくなるでしょう。もちろん中国にとって日本は経済的に利用可能な戦略資源でありますが、利用しなくてもいいと考える人も多いです。
中国側は逆に日本がアベノミックスでデフレ脱却、経済成長をするためには中国市場が不可欠だと認識しているでしょう。日本の対中国投資が減少し、中国の対日貿易が減少しても、それは中国にとってはそれほど心配することではないと私はみています。なぜかというと、日本経済の対中国依存度は中国経済の対日依存度より遙かに高いからです。従って、中国側が日本との関係改善を望むとすればそれは経済的な側面も重要ですが、もっと重要なのは国際関係の側面から、日本との関係改善が中長期的に中国にプラスになると判断したからだと思います。少なくとも日中関係の悪化は中国にとってマイナスだと考えていると思います。前述でも説明したように、対米関係において日本を敵に回すのは中国にとって得策ではないし、日本と一緒にアジア地域協力を進めれば、対アメリカに関係において有利だからだと思います。つまり戦略的な判断からの要素が大きく、経済的な実利は二の次の問題だと思います。
 だからといって、中国にとって日本経済に期待するものがないということではありません。中国にとって日本は依然として重要な投資国であり、両国の貿易量も大きいのです。そして中国は環境問題を解決するためには、日本との協力で環境技術や環境投資などが期待できるし、日中韓FTAやRCEPを実現するためにも日本の協力が不可欠であると思います。

ご質問3)一方日本経済も、アベノミクスが一定以上の効果を上げられず、また、円安を生かしきれず、いまひとつ決め手を欠いています。日本としては、中国と今後どのように経済連携していくべきだとお考えですか。
 回答:日本経済はバブル崩壊以降「失われた20年」といわれますが、そのなかの大きなミスは急成長する中国市場をうまく活用できていない問題がそれと重なると私は見ています。つまり、日本政府の対中関係は今世紀に入ってとりわけ小泉首相就任以来、政治関係が悪化し続け「政冷経熱」から、徐々に「政冷経涼」(私の造語)になりつつあり、日本にとっては対中国関係の「失われた10年」だと私は見ています。近年、中国経済は高度成長から徐々に成長率を下げるといっても、7%以上というのは世界で最速の成長であり、中国市場の規模は見る見るうちに拡大しており、欧米や世界の新興国は一所懸命に中国市場の取り込みに政治関係も経済関係も拡大する努力をしています。韓国などは対中国市場が急速に拡大し、国民経済がそれによって潤っているのです。唯一、中国市場拡大に失敗したのは日本です。
 日本はかつて30年間中国にODAを供与し、中国経済成長の大きなエンジンの役割を果たしましたが、その成長の果実を得るべき時期に、政治関係がだんだん悪化し、それが経済関係にも大きく陰を落としてしまいました。本当に馬鹿げた話です。もちろん日本から見れば対中貿易のシェアはここ十年間急速に高まり20%近くまでになっており拡大したのは間違いないが、中国から見れば対日本貿易シェアはこの20年間に15%から8%程度に低下しており、日本の重要性がだんだん低くなっているのです。このアンバランスを日本の政治家や首相はどれくらい認識しているのか、はなはだ疑問です。
 従いまして、日本経済がアベノミックスにより成長軌道に乗るには、高度成長を続ける中国市場を拡大するのが不可欠であります。中国市場では儲かるチャンスはまだまだいっぱいあります。日本の成長経験は中国にとって貴重な資源であります。具体的な経済連携を進める上で、日本の優位を生かすことはまだまだ十分な余地があります。
 一つは環境協力です。中国が一番ほしがる環境技術、環境投資は日本の成長にも大きなプラスになると思います。二つ目は、中国の内陸部市場への参入です。中国は経済規模では日本を越えましたが、まだまだ発展途上国であり、内陸部や農村地域は市場として大きなビジネスチャンスが待っているのです。近年中国は内陸部でもインフラ整備を積極的に進めており、投資やビジネス環境がかなり改善されております。三つ目は、中国市場を取り込むためにはFTAやEPAなどの経済・貿易自由化を進めることです。懸案としては日中韓FTAを積極的に推進することでしょう。
 四つ目は、中国は近年生活水準の向上に伴い、中国人の海外観光客が日本の約3倍の5千万人以上に増えています。日本は小泉政権の時代にビジット・ジャパン・プロジェクトを進めてきましたが、中国からの訪日観光客はまだ2百万人にも達していません。その理由は対中国人ビザ緩和を進めてはいるがまだ不十分なこともありますが、政治関係の冷却化が大きく陰を落としている面が大きいのです。もし、中国人の対外観光客の一割を取り込むのであれば、毎年500万人を誘致することも可能です。ましてや中国人観光客の消費金額は世界でも一番多いです。観光立国を目指す日本は、対中国観光市場(インバウンド)を整備することにより、日本経済の再生に役立てることができると思います。 (以上)
# by kklig | 2014-11-07 18:00 | インタビュー
歴史認識と「洗脳教育」を如何に超克できるのか?
                                    李鋼哲
 近年、日本と韓国および中国との関係は厳しい冷え込み状況に陥り、なかなか解決の糸が見つからない。この問題は日本と中韓両国との関係だけの問題にとどまらず、米国政府も巻き込み、欧米世論も巻き込んだ世界的な大論争に発展した。先月のダボス・フォーラムでも安倍首相の基調演説に対し、司会者の質疑応答で取り上げるほどになっている。その根底にあるのは歴史認識の問題にほかならない。靖国神社参拝の問題にしても、領土・領海問題にしても、歴史認識問題の延長線に生まれた派生的な問題であると筆者は見ている。
 この問題について筆者は、自称「アジア人」として、国家・民族を超えた意識に基づいて「不偏不党」の視点を提示したい。一つは、歴史の複雑性と歴史認識の多様性について、もう一つは、歴史教育の「洗脳性」について、私見を述べたい。

 まず、歴史の複雑性と歴史認識の多様性について述べる。
筆者は歴史学者ではないが、歴史とは相当複雑であり、勉強すればするほど面白くなっていることに気づいた。歴史というのはそれを見るあるいは解釈する主体者によってその事象は異ってくる。歴史のなかに生きて経験する人は千差万別である。歴史を動かしている人々、歴史を評価したり、歴史を書く人々の立場や考え方には複雑な要素が絡んでいる。したがって、歴史は複線であり、単線で単純なものではないことは自明の道理である。その歴史に対する認識や見方には多様性があることを認めざるを得ない。そして、歴史は動くものであり、したがって歴史に対する認識も時代(歴史)の変化に伴い変化する。このことを哲学では歴史弁証法という。
 中国で生まれ育って、教育を受けた筆者の個人的な体験から言うと、日本に関して、または日中歴史関係についての認識は時と共に変化してきたのである。
1960~70年代、子供であった筆者は、田舎にいても「共産党の抗日戦争」(当時は政権党である国民党は抗日に消極的であったと教育されていた)の映画をたくさん見てきた。でも、子供だったので、ただの戦争ごっこにしか受け止められなかった。映画の焦点は共産党の八路軍と新四軍が如何に日本軍と勇敢に戦って勝利しているのか、日本軍は如何に三光政策を実施したのか、にあった。
1972年に日中国交正常化したが、田舎の人々はそのようなことはあまり知らなかった。ただし、学校教育では抗日戦争の映画を見せる時に、先生は「日本の中国侵略は一部軍閥主義者たちによるものであり、日本国民も被害者であり、日本国民は我々と同じ無産階級(プロレタリア)なので団結すべきであり、憎むべきではない」と教え、そのまま信じた。おそらく、そのような教育指針が政府から出されたと推測できる。
 そして、偶然にも小学生の頃、日本人に初めて接する機会があった。1969年頃、ある有名な画家の家族が地元の都市延吉市から私の住んでいる村に下放されてきたのだが、その画家の奥さんが日本人であった。「文化大革命」の時代であり、知識人や外国と関係がある人間達は悪者扱いされ批判の対象になる時代であった。
しかし、村に来たその家族は不思議なことに批判の対象とはならなかった。村人達は誰一人も日本人の奥さんを悪者とは思っていなかった。逆に、その礼儀正しさ、優しさに村人達は尊敬しており、仲良く過ごしていた。その家の末息子と私とが小学校で同級生であったので、いつも神秘感(日本人的な生活スタイルに対して)を持ってその家に遊びに行ったりした。
私が高校を卒業して大学受験に4年間もチャレンジするうちに、外国語の試験が加わったため、日本語の本一冊を持って、「日本語を教えてください」と、友達のお母さんに頼んだら、すぐ承諾してくれた。日本語の仮名の読み方からはじめ教えてもらった上で、独学で日本語を勉強した。
 大学生の時には、専門は哲学であったが、引き続き外国語として日本語を独学し、大学に来ていた日本人留学生(日本では社会人)と初めて日本語会話を試み、そのうち親しい友人になり、中国語と日本語を混じりながら会話し、周りの友達とも混じりながら交流していたが、誰一人も日本人だから嫌いという人はいなかった。逆に、日本人と親しく交流できる私は周りの学生から「日本通」と言われた。その後も日本友人との交流はずっと続いていた。これが1980年代の北京での私の日本人体験であった。つまり、毛沢東時代と鄧小平時代までは「反日教育」、「反日」は中国では非常に限定的であったということを物語っている。中国で「反日教育」が盛んになったのは1990年代の江沢民時代からであることは周知の事実である。
 話を歴史認識に戻すと、国家間で戦争が発生した場合、必ず強いものと弱いもの、侵略者と被侵略者、加害者と被害者が出てくる。日本が中国で侵略戦争を起こしたことは否定し難い歴史的な事実である。しかし、その戦争によって侵略した側、侵略された側の両方にそれぞれの受益者と被害者がいることも理解せねばならない。どの勢力が国の政治を司るかによって、歴史認識も変わってくるのである。これは何処の国でも当てはまるのだと思う。
あるエピソードを取り上げよう。昭和39年(1964)7月、日本の社会党訪中団が中国を訪問し、毛沢東と会見した。社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し、日本の侵略戦争について謝罪したのに対し、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。・・・もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であったし、かれらの教師でもあったのです。」「過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。」と述べたという。
この発言は奥の深い哲学的なものの考え方によるものである。中国には「因禍得福」という諺がある。禍によって結果的に福がもたらされるという意味である。日本軍の侵略は中国に大きな禍をもたらしたが、それを結果的に、そして大局的に見ると人民による新中国の誕生につながったことも事実である。
もう一つは、「反面教師」という言葉も中国でよく使われている。仮に悪いことをしても、それを反省し、教訓を汲むことができれば、良い結果につながることができる。毛沢東は思想的には哲学者でもあり、物事を考えるときに常に「一分為二」(一つの物事の二つの側面)という弁証法的に考えるべきだと中国人民に教えたのである。中国ではその当時毛沢東が絶対的な権威をもっており、国民の信任が厚かったので、毛沢東はそのような「ジョーク」で会談の雰囲気を変えることができたのだと思う。もちろん、その発言は外交記録にあるのみで、マスコミに発表されたわけではない。
このような考え方で、日韓関係を見ると、もし日本の植民地支配がなかったら、今日の韓国の繁栄はなかったかもしれない。独立運動家は生まれなかっただろうし、韓国民の覚醒もなかっただろうし、朴正煕大統領のような立派なリーダーは生まれなかっただろう。しかし、もし韓国の某大統領が「日本の植民地支配に感謝する」と発言したとしたら、それは国賊扱いにされるに違いないだろう。韓国では「親日派」を徹底的に追求するキャンペンを行ったが、それは「反日」である前に、まずは国内での政治勢力間の戦いに見えるのではないか。歴代大統領が替わるたびに、「反日」になったり、「親日」までは言えなくとも日韓関係の歴史に終止符を打とうとする、二つの勢力の争いが繰り返されている。現在の朴大統領が対日政策で強硬姿勢に出るのは、親の「親日レッテル」という負の遺産から自分のイメージを払拭したい、という心理的コンプレックスによるものと見受けられる。
筆者なりに歴史を客観的に評価するとしたら、日本の侵略と支配により、隣国は大きな被害を被り、日本はその加害者責任から逃れない。しかし、加害過程における受益者がいることも否定しがたい歴史的な事実である。
しかし、歴史というものは完全に客観的に評価できない側面もあることも理解せねばならない。一つの民族、集団の文化としての歴史は、自分達の過去であると同時に現在と直結している自分たちのアイデンティティの整合性の最も重要な部分である。言い換えれば、歴史自体が自己とアイデンティティの主な部分を占める。だからこそ、歴史は解釈であり、勝者と為政者が自分たちの正当性やアイデンティティの形成に利用するものである。したがって、歴史は最も「作為性」と「虚為性」として粉飾される客体であり、主体でもある「文学的な物語」である。とある学者は指摘している。
結論的に言うと、歴史認識というのは時代の産物であり、為政者が自分たちの正当性を主張するための道具という側面があることを認識しなければならない。

もう一つ取り上げたい問題は、歴史教育の「洗脳性」についてである。
以上で述べてきた歴史の複雑性と歴史認識の多様性は、ある集団が政治的な目的により歴史を操作する可能性を提供している。政治家はある目的により、歴史操作(または歪曲)を行い、マスコミはそれを国民に伝える。もちろん、民主主義国家では言論の自由(研究の自由)と報道の自由が保障されているという前提で、様々な側面から歴史を検証することになっている。一方、共産国家や独裁国家ではそれが保障されていないというのが世間一般の認識であろう。しかし、この前提に対する考え方は本当に正しいのだろうか。筆者の答えは「NO!」である。いくつか歴史に関する洗脳教育の例を取り上げて説明したい。
筆者は、共産国家中国で生まれ育ち、教育を受け、共産党員にもなったことのある人間である。しかし、1980年代以降、大学生になり、改革・開放政策により、西側の情報に接することができ、振り返って見ると、毛沢東時代に甚だ「洗脳教育」(「毛沢東や共産党政府のやっている全てのことが正しい」という教育)を受けてきたことに気づきはじめた。共産党や政府に対しても否定的な見方ができるように変わってきた。新聞などで共産党に対して公に批判はできなくても、「洗脳教育」からある程度は脱却できたことは確かである。そのような若者達が増えたから、「民主化」を唱えるようになり、結局「天安門事件」という惨事までに起こってしまった。筆者はその当時は大学教員として若手インテリの一人であったが、少なくとも当時は北京のインテリ(特に若手インテリ)層のほとんどが学生運動を支持していた。もちろん、インテリだけではなく、デモのピーク時には200万以上の北京市民が学生運動を声援し参加していた。これは「洗脳教育」から解放された若者達を中心とする中国人の愛国主義的なエネルギーの噴出であったと筆者は考えている。
このような愛国主義的な若者を武力で鎮圧するような共産党が率いる中国の前途および自分の前途は、筆者には真っ暗に見えたのだ。憧れの的は民主主義国家の日本や欧米だった。当時、筆者を含む多くの若者達は、自分を育ててくれた祖国を背に、出国の道を模索したのである。
中国人の日本に関する認識で言えば、毛沢東時代の「侵略戦争は一部軍閥主義者による行為」というのは、歴史事実は別として一種の「洗脳教育」であり、江沢民時代に始まった「反日教育」も紛れもなく「洗脳教育」であった。残念ながら習近平時代にもそれは続いているのである。数多く作られる抗日映画やドラマ、抗日戦争記念館などは見るに堪えられない。10年前に山東省威海市近くの柳公島にある「甲午戦争記念館」(日清戦争)を見学したことがあるが、その時にびっくりしたのは、日本軍が中国住民を虐殺する写真などが赤裸々に展示されていたが、それに対する歴史的なストーリの解説はまったくなかった。歴史知識が乏しい子供達や一般民衆がそれを見ると、「日本人は如何に残虐無道な悪魔=鬼子」であるか、という印象しか残らない。過去形ではなく現在進行形になり、彼らの頭には、現在の日本人とそれが重なるのである。だとしたら、このような歴史教育は現在の日本人に対する憎しみを植え付ける役割しか果たさない。「これは中国人自身にとっても良い教育ではない」と筆者は案内役の地元政府スタッフに異議申し立てをした覚えがある。
これと似たような状況を筆者は韓国でも体験したことがある。「独立記念館」、「歴史博物館」などで見学するときに、子供達を引率する先生や親たちは、一所懸命に「日本が武力で韓国を植民地化した」ことを教えていた。もちろん、それ自体は歴史教育として悪いことではないし、教育すべきである。しかし、筆者が問題にしたいのは、ある国あるいは国家間の複雑な歴史や歴史認識のある側面だけ誇張して強調し、その否定的なイメージを現在の平和時代を生きる国や国民と結びつけてしまうような教育は、危険な「洗脳教育」に他ならないということである。
韓国はすでに立派な民主主義国家なのに、未だに共産党独裁国家である中国と似たような歴史的な洗脳教育することは、筆者には到底納得いかない。もちろん、筆者も朝鮮半島にルーツを持ち、親の世代は満州で日本の支配と迫害を受けた事実を子供の時から聞かされているし、感情的にはその加害者の日本人が嫌いであり、「倭寇」、「日本鬼子」は許せない気持ちはある。しかし、それはあくまでも歴史であり、今の21世紀を生きる人間としては、歴史を忘れてはならないが、未来志向で、平和志向で生きるべきであり、考えるべきではないか。
民主主義国家である韓国では、言論の自由と研究の自由が保障されているはずなのに、近代史を客観的に研究する、とりわけ日本との関わりに関する研究者は、研究成果が歴史事実に基づいたとしても、朝鮮王朝の腐敗・堕落についてのことに言及すると、たちまち「親日派」、「売国族」の扱いをされ、罵倒されることになる。ここで、ある韓国の学者の言葉を引用する。
金完燮(キムワンソプ)という評論家が、2002年に日本で『親日派のための弁明』という本を出版しベストセラーになった。本のなかで、著者は「韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。」と述べた。この本は日本支配下になる前の朝鮮王朝の暗黒な社会を赤裸々に描き出したのだ。
しかし、著者はその言論が日本の植民地支配を美化するとして批判されるだけではなく、裁判を受けたり暴行を受けたり、様々は迫害を受けたのである。彼は別に親日派でもなく、かつては反日感情が非常に強い民主化運動家だったが、外国(オーストラリア)に一時移住して対日観が変わったと言われている。学問と言論の自由が保障されているはずの現代の先進国であり民主主義国家の韓国で、このようなことが起こるということをどう理解すればよいのか。(SGRAの読者の韓国学者達は理解できるでしょうか?もし筆者の見解が間違ったら批判してもらいたい)。
話を日本に戻す。筆者が「天安門事件」の衝撃を受け、前途が見えない中国を脱出して、憧れの日本に来て、自由な空気を吸い始めたのは、今から24年前である。北京で大学教師職を放棄し、日本ではアルバイトで生計を立てる就学生に転落したが、精神的な解放感を感じたのは確かである。日本では言論の自由・学問の自由が保障されている。しかし、長い間日本の社会を観察していると、日本でも「洗脳教育」が横行しているように見えてしまう。戦後の歴史教育はかなりの部分は「洗脳教育」要素があるのではないか。敗戦国家でアメリカによる支配の中で、歴史教育の基礎が定められているのではないか。マッカーサー元帥が「3S」(セックス、スクリーン、スポーツ)政策を仕組んで、日本国民の政治意識を麻痺させた、という陰謀説さえもあるほどだから。
近年のことでいうと、北朝鮮の拉致問題やミサイル・核実験、中国の反日デモなどについて、日本のマスコミの集中豪雨的な「洗脳教育」により、日本国民の多くは北朝鮮嫌い、中国嫌いになりつつあり、近年はまた韓国嫌いにもなりつつある。それには日本の右翼が深く絡んでおり、右翼的な政治家も絡んでいることは否定しがたい事実であろう。民主主義国家、言論自由な国家で、公正な客観的な議論ができず、偏向的な報道が中心になっているのではないか。周りの日本人と議論してみると、かつて洗脳された経験が豊かな筆者から見ると、彼らもいつの間にか「洗脳」されていくような気がする。現代社会ではテレビの影響が大きいので、ある事件で無数に繰り返し報道すると、それに接する国民は自然に「洗脳」されていくのである。「中国と韓国が結託して優しい日本人を虐めている」という話を何度も日本人の友人から聞いたことがある。筆者から見ると、恐ろしく世論に洗脳されているとしか見えないが。
ところで、世界で最も民主主義国家である米国にも同じような現象がある。広島・長崎に落とした原爆は正義のためだったと、戦後六十数年も米国民および世界に対して歴史教育の洗脳して来たのではないか。これについては米国の映画監督オリバー・ストン氏が、米国の現代史を検証するドキュメンタリーにて、原爆投下の必要性について疑問を呈したことから、筆者も興味を持って歴史知識を勉強するようになった。そのほかも、ベトナム戦争、イラク戦争など、多くの歴史的な出来事について、政治家やマスコミは国民を洗脳してきたのではないか。反対の意見はあってもそれはある政治勢力により圧殺されていることは否定できないだろう。
ここで改めて「洗脳教育」を「マインド・コントロール」という言葉と絡んで吟味してみたい。「私の考え・価値観は、マインド・コントロールされて形成されたものだ」と言う人は、ほとんどいない。また、「私の言動は相手をマインド・コントロールするものだ」と言う人も、滅多にいないだろう。大方の人は、「私は正常だ」「私に悪意はない」と考え、またそのように主張する。しかし、そう主張したところで、その当否を判断するのは相手方なのだ。重要なのは、各人の「思い」ではなく、外形的事実だ。
 マインド・コントロールとは何か? 簡単に言えば、「強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術のこと」(*「ウィキペディア」参照)だろう。最も重大かつ危険なマインド・コントロールは何かと言えば、「国家によるもの」ではないか。国家は国民に対して一定の「強制力」を持つゆえ、私たちは国家に対して、さらに「洗脳」の危険性も併せて考慮しなければならない。
民主主義で、言論自由な国でも、独裁国家とは程度の差はあれ、為政者はマスコミや教育という道具を使って、国民に対する洗脳教育をしている歴史や現実を我々は理解せねばならない。そして、まず、自分が洗脳されないように、また人々が洗脳されないようにするためには、「国民意識」からの脱却が不可欠であろう。一つ言っておきたいのは、日本や米国では学問の自由と言論の自由が保障されていることは否定できない。筆者の書いたこの文章をもし中国や韓国で発表されたら、「親日派」、「売国賊」のレッテルが貼られるかも知れない。
筆者のいう「不偏不党」のアジア人、「地球市民」というのは、まさに「国民意識」を超えてからこそ、実現されるものではなかろうか。(以上)
# by kklig | 2014-04-30 10:37 | コラム
日本の大学教育改革に一石を
北陸大学 李 鋼哲
 最近の『日経ビジネス』インターネット版で、早稲田大学の熱血教授、カワン・スタントに関する記事を読んで、深く感銘を受けた。
 実は、スタント教授とは昨年8月末に中国の延吉でお会いしたことがある。氏は日本の「華人教授会議」の故郷訪問団の一員として延吉を訪問していて、延辺大学副学長の招待晩餐会で、私と隣の席に座って初対面で挨拶しながら話が弾んだ。
スタント教授と名刺交換して見てビックリした。なんと日本と米国で4つの博士学位をとっているのではないか。それも工学、医学、薬学、そして教育学という幅広い異分野の学位を、何の天才だろうと思った。その勉学の精神に私は心を打たれた。スタント教授は「心を育てる教育や感動教育を実施し」、カワン・スタント・メソッドも開発していると、「早稲田大学研究者紹介」にも掲載されている。
 その早稲田大学に私の息子が昨年商学部に入学し、親としてもこれでひと安心した。ところが、入学してから2ヶ月くらい経って、息子は「大学を辞めてアメリカのカレッジに入って1からやり直したい」と言ってきた。「何言っているんだ。早稲田は日本では入りたくても入れない人がたくさんいるんだよ」。「授業がつまらないし、刺激がない」と息子は言う。「でも早稲田の学歴は日本では大変役立つのでは?」と私が言ったら、「自分にとってはここで勉強するのは時間の無駄になる」と息子は言い張る。後ほど、「国際教養学部の授業が面白いから、転学部したい」と言っていたが、申請時期を逸したので実現できなかった。もし前述で紹介した国際教養学部のスタント教授のような方に出会えたら、彼の考え方はちょっと変わったかも知らない。
日本の大学現状に目を転じると、確かに大学の教育に大きな問題があることを改めて感じた。私も日本の大学院で10年ほど勉強、8年あまり教えているが、魅力ある講義が少なすぎると感じたことは一回だけではない。学生が勉強意欲を無くすのは、学生だけの問題ではない。教員は教育にどれくらいエネルギーを投入しているのだろうか、疑問に思うし、自問もしている。
最近、2012年の世界大学ランキングを調べて見てびっくりした。東大がやっと27位にランキングされ、早稲田と慶應はなんと351~400位にランキングされている(2013年の発表では二つの大学は400位圏から外されている)。これは現在の日本の大学教育の一角を物語っているのではないか。
それでは、なぜ日本の大学教育はここまで低落しているのか。理由はさまざまあるだろう。「今の学生は駄目だ、勉強しない」と、20数年前に筆者が日本に来てから良く聞く話だ。もちろん、時代が変わり、環境が変わると若者も変わるだろう。生活満足度が高いからハングリー精神がなくなり、勉強しない若者が増えているのも事実であろう。
しかし、若者のせいにするだけでは、日本の教育は変わらないのだと思う。変わった環境と時代に相応しい教育体制と教育方法を見つけることが大学教育としての責務ではないだろうか。そのためのイノベーションを積極的に進めるべきではないだろうか。
日本の大学教育に問題があるとしたら、学生のやる気が弱くなったのも確かであるが、根底には「先生が駄目である」と私は言いたい。有名な大学では、先生は教育より研究にかなり力を入れていると言われている。つまり教育能力の開発、授業法の開発や工夫にはそれほどエネルギーを注いでいないと思われる。私のいる地方の私立大学では「研究より教育を重視しろ」、「愛情と情熱をもって教育しろ」と言われるばかりでも、実際は教育現場ではその通りにならない。だからといって教員が研究に熱心かといえば、そうでもなさそうである。
それでは、なぜ日本の大学教員は教育に熱心にならないのかを考えなければならない。筆者の浅見では、その根底には日本社会の組織風土に問題があると思っている。毎日「改革」とか叫びながらも、保守的で、古臭くて、既得権益者の利益だけが守られているのは、大学も含めた日本の多くの組織が活力を失う病根ではないだろうか。
日本国の政治家や官僚、巨大企業などにも似たような現象が起こっているのではないか。「改革」、「イノベーション」、「維新」というきれい言葉は良く使われているが、それが既得権益にぶつかると何も進まない。大学の教員や経営者もある意味では既得権益者であり、自分たちの利益を犯してまで改革をしたいとは思わないだろう。そして多数の大学では競争システムやインセンティブ・システムが制度的に整備されているのだろうか。頑張っても頑張らなくても評価や待遇はあまり変わらないし(その面では「社会主義」と言われる)、頑張っている人が逆に足を引っ張られることさえもある。こうした日本の大学教育を根本から改革するのに、スタント教授の取り組みは一石を投じるだろう。
# by kklig | 2014-02-01 10:35 | コラム